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あの「毒物カレー事件」真相に迫る「マミー」冤罪?

あの事件から26年たったようだ。最高裁判決で死刑が確定している林眞須美死刑囚は冤罪かもしれない。

犯人でないなら、誰が彼女を殺すのか?

そんな視点で事件の再検証に取り組んだ話題作が映画『マミー』

監督は、二村真弘監督。

 

二村真弘監督

 

林眞須美氏の息子さんのトークイベントで母親の冤罪の可能性についても言及していたそうだ。

そのときに初めて〝犯人は林眞須美氏ではないかもしれない〟と知り、ではなぜ彼女は死刑を求刑されたのか、そこに対する疑問が(本作品の)出発点になったことは確かです。

 

この事件を振り返る。

夏祭りで提供された猛毒のヒ素入りカレーを食べた 67人がヒ素中毒となり、小学生を含む4人が死亡した 。1998年7月に起こった和歌山毒物カレー事件。

 

映画を通して何を訴えたかったのか、二村真弘監督に聞いた。 

──「和歌山毒物カレー事件は冤罪かもしれない」ということは、ある出来事がきっかけで知ったそうですね。

二村真弘監督(以下、二村):はい。5 年ほど前になりますが、林眞須美氏の長男(以下、長男)の書籍の出版記念トークイベントに行ったんです。

あの事件(和歌山毒物カレー事件)のことはよく覚えていたので、長男ってどんな人でどんなことを語るんだろうと、単純に興味本位というか、野次馬根性で聞きにいったという感じですね。

ただ、そのトークイベントで彼は、死刑囚の息子として歩んできた壮絶な人生を語っていただけでなく、母親の冤罪の可能性についても言及していた。そのときに初めて〝犯人は林眞須美氏ではないかもしれない〟と知り、ではなぜ彼女は死刑を求刑されたのか、そこに対する疑問が(本作品の)出発点になったことは確かです。

──トークイベントにはテレビ局の取材が入っていたということですが。

二村:テレビクルーも入っていましたし、ディレクターらしき人物が会場で、「私たちは(林眞須美氏の)冤罪の可能性について検証する番組を放送したいと考えている。このトークイベントも、長男のドキュメンタリーの過程の一つとして取り上げる」といった話をしていました。だから僕も、林眞須美氏の「冤罪」がどういう形で放送されるのか楽しみしていました。

──けれど、結局、番組は放送されなかった。

二村:後日、長男に確認したところ、ディレクターから連絡があって、「局の上層部の判断で、死刑判決が確定している事件において、冤罪の可能性を検証する番組を放送できない」と言われたそうです。

──その話を聞いて、自分でやろうと思ったんですね。

二村:実際のところ、冤罪か、単なるトンデモ話なのか。長男の話にしたって、身内の話だからうのみにできないし、母親を守りたい一心からやっているんだろうとも思えるわけです。

一方で、ネット上に出ている情報にはあいまいなものが多く、実際に事件に関わった人たちに直接取材をしないで、「私はこう思う」みたいな考察が多かった。

後々になって、映画に出てもらっているジャーナリストの片岡健さんなどは、きちんと取材をしているって分かってくるんですけど、最初の段階では、冤罪の可能性についてしっかりと当事者に取材をしたものが調べても出てこなかった。

それであれば、冤罪かどうかは分からないけれど、それを調べて、プロセス自体も公表していくことは意味があるんじゃないかと思ったんです。

それがYouTube のドキュメンタリーチャンネル「digTV」につながっていくんですけど。

──つまり、長男の話を立証していこうというより、自分が知りたかったことを調べて、一つひとつ事実を詰め上げていこう、みたいな?

二村:もう、それだけですね。

──digTV は現在、チャンネル登録者数 3 万人を超えています。「冤罪だとしたら真犯人がのうのうと20 年以上普通に生活している事が許せない」「一つのチャンネルで一つの事件をひたすら追求するなんて企画は今までなかった」などのコメントが興味深いです。

二村:全部で11 本配信しています。思っていたよりも沢山の反応があって、思った以上に好意的なコメントが多かったです。しっかり取材をすれば見てくれる人は多いのだと、励みになりました。

 

──監督は、テレビの世界でずっとドキュメンタリーを作ってきました。冤罪を検証する番組が中止になったことについて、どう思われますか?

二村:肌感としてはよく分かりますね。おそらくそういうリスクを取ることはできないのでしょう。ただ、過去には、テレビ局が番組で冤罪の可能性を立証し、それが判決に影響を与えた 無期懲役が無罪になった事件が実際にあるんです。その番組は再現実験を行っていて、それが間接的ではありますが再審における重要な証拠の一つにつながった。

もちろん今と当時とでは時代背景が違っていて、テレビ局はリスクのあることは遠ざける、リスクは取らないという傾向がある。でも、僕個人としては、番組を作るのは難しいのは分かるけれど、できるのにやらないのはどうなのかって思うわけですよ。

 

──それがモチベーションだったわけですね。タイトルの『マミー』に込めた思いは?

二村:タイトルを決めたのは編集が終わりに差し掛かったころで、内容がほぼ固まった段階でした。「マミー」というのは長男が小学校5 年生まで呼んでいた母親の呼び方です。

これは長男自身が話していたのですが、普通は成長するにしたがって母親との関係性が変わって、呼び方も「ママ」や「マミー」から「お母さん」や「おかん」に変わってくる。

でも、彼の場合は小学校5 年生のときに母親の関係が物理的に途絶えたので、その時の呼び方がまだ残っている。だから僕が長男をインタビューするとき、彼は母親のことを「母」あるいは「お母さん」と呼んでいましたが、父親の健治さんとの会話のなかではマミーと呼んでいるんですよね。彼の中ではまだマミーなのかな、と。

それからもう一つ、いわゆる〝毒婦〟みたいなイメージがある林眞須美氏も、取材をしていくなかで、4 人の子どもを持つ母親らしさも見えてきた。彼女のイメージを覆すという意味で、あえてマミーというタイトルにしたということもあります。

 

──タイトルバックに絞首台が映っているシーンは衝撃でした。あれはどのような意図で入れたのでしょう。

二村:死刑制度につながる部分ですね。僕は常々、日本は死刑制度を維持しながら、その実態が国民にほとんど知らされていない、だから死刑判決の重みが薄れているんじゃないかと感じていて。だから、あの映像を入れたことに関しては、死刑ってこういうことですよ、皆さんはどう思いますか?って問いかけたかったというのがあります。

──映画では何度もインタビューに答える長男が登場します。彼にインタビューするにあたって監督の中でルールを課したそうですが、どんなルールですか。

二村:この映画は、冤罪かどうかを検証していく過程を伝えるのが目的であり、冤罪を前提としていません。ですから、取材させていただいた被害者の方や、林眞須美氏が有罪の根拠になった証言をした方についても、長男や健治さんと同じように、フラットなスタンスで話を聞いています。

そこ(スタンス)を明確にしておかなければ、取材対象者には信用されません。そういった意味から長男を取材する際も、〝死刑囚の息子〟として取材しない、あくまで事件のことを目撃した証人の一人という立場で話を聞きました。

長男はこれまでいろんなメディアで取材を受けていますが、そこで求められるのは〝死刑囚の息子の壮絶な人生〟であり、取材では冤罪の可能性についても話しているんですが、「そこは絶対に使われない」と話しています。そういう取材との違いを明確にしたいということもあり、僕は彼の死刑囚の息子としての半生には重きを置かないことにしました。

──映画では長男や健治さんだけでなく、被害者のご家族や警察や弁護士など、事件に関わった人物にも取材を試みています。

二村:警察官のみならず、検察官や裁判官には取材すべきと思ったんですよね。大半は手紙を出した段階で断られましたが。取材をしていると、裁判がおかしいとか、検察の取り調べがおかしいとか、証拠の認定の仕方がおかしいとか見えてくるんですが、彼らはそれらに何一つ答えていません。

もちろん、「守秘義務があるから答えられない」と言われることは、これまでやってきたドキュメンタリーの番組制作の経験からも分かっています。それでも彼らを取材することで、少なくとも我々はあなたたちが出した結果に疑問を持っていますよ、ちゃんと見てますからね、ということを伝えたかった。

──監督が取材で得たものを彼らに突きつけたかった。

二村:それが大きいです。一方で26 年も経っている事件なので、すでに退官されている方もいます。なかには「もういいかな」と語ってくれる方がいるんじゃないかなと淡い期待もあったんですが、そう簡単ではなかったですね。

──逆に言えば、彼らにも和歌山毒物カレー事件は大きなインパクトを残していたということなのではないでしょうか。

二村:そうだと思います。

実際、これだけ大きな事件を自分たちが解決したんだということで、それこそ和歌山県警は内部資料として、事件の発生から解決に至るまでをしっかりと製本された冊子として残していて、捜査に関わった人たちに配っています。それだけ総力を上げて解決したんだという、ある種の誇りみたいなものを持っていますね。そういう誇りがあるのなら、逆に〝この事実には濁りがありません〟と発言してくれてもいいのにと思ったのですが…。

林眞須美氏が一貫して無実を訴え続けていて再審請求が出されていることや、冤罪の可能性を指摘する声が大きくなっていることも当然知っていて、だからうかつに発言できないんじゃないかという印象です。

──そういう困難を乗り越え、カメラを回し続けたモチベーションは、どこにあったのでしょう。

二村:事件に対する興味というか、調べれば調べるほど疑問やおかしな点があって、検証すべき点が出てきたということが一つ。もう一つは、林眞須美氏自身や彼女の弁護団の存在も大きいです。

彼女らは26 年間ずっと無実を訴えているんですよね。再審請求が紙切れ一枚で棄却されたり、必死に集めた証拠が「信用できない」という一言で却下されたりしてもなお、無実を訴え続ける。そういう状況を見てきたので、26 年間やり続けた彼女らに比べれば大したことはないなという気持ちがあります。当然ながら、もともと労力のかかることをやっているという自覚もありましたし。

──映画の中で、健治さんが保険金詐欺について告白しているシーンがあります。話している内容を聞くと、ちょっと普通ではないというか、世間からずれた感じがします。こういう人たちだから事件を起こしたんじゃないか、みたいなイメージを持つ人もいるのではないでしょうか。

二村:これはおっしゃるように、ちょっと普通じゃない、こんなひどいことをしているのかと表面上は見えますよね。ただ実際の裁判では、林眞須美氏が保険金詐欺でヒ素を使っていたということが、傍証(ぼうしょう)という言い方をするんですけれども、カレー事件での動機につながる部分としてしっかりと認定されています。

つまり健治さんが〝自らヒ素を飲んで保険金詐欺を働いていた〟という証言は、現在の裁判の認定を真っ向から否定するものです。ですが、依然として裁判では健治さんは眞須美氏にヒ素を盛られた被害者ということになっている。

あれだけおおっぴらに語っているにもかかわらず、現在の日本における彼の位置づけは被害者だということ。そこが明らかになることで不可思議さや、矛盾を分かってもらえたらいいと思いました。

 

引用記事:

マスコミが報じなかった和歌山毒物カレー事件の冤罪検証 〝毒婦 林眞須美〟の真相に迫る「マミー」で明かされる26 年目の衝撃(SlowNews/スローニュース) - Yahoo!ニュース