若い人はもはや「サザン」を知らない・・
面白い記事見つけました。
スージー鈴木さん
「最後の夏フェス」
さる9月23日の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2024 in HITACHINAKA」は、サザンオールスターズにとっての「最後の夏フェス出演」となりました。
ご存じのように、たいへんな盛り上がりとなり、ひたちなかの会場だけでなく、全国300館以上の映画館で「ライヴ・ビューイング」が行われ、多くの方が、全19曲、約100分のステージに熱狂しました。
私は、サザンオールスターズ/桑田佳祐を「日本ロック界における最大の存在」としてリスペクトしていて『サザンオールスターズ1978-1985』 『桑田佳祐論』( ともに新潮新書)を上梓、そのすごみを考察した者です。
さすがに、そこまで思い入れるのはレアにしても、私世代の多くは、彼らを特別な存在として捉えていて、「サザン最後の夏フェス」と言われると、大いに盛り上がってしまいます。
ただ、この前提がどこまで伝わっているのだろうと不安にもなるのです。つまり、私世代における、サザンオールスターズ/桑田佳祐の特別な存在感が、若い世代(ここでは10~30代のイメージ)にも理解されているのだろうかと。そしてもしかしたら、「最後の夏フェス出演」云々も、遠い騒ぎに思われているのでは、とも。
まずもって年齢の問題が大きそうです。桑田佳祐、御年68歳。若い世代にとっては、父親、下手したら祖父の年代なのですから。ちなみに私が20歳のとき(1986年)に68歳だった有名人は田中角栄。
大学生の私が『マンピーのG☆SPOT』を被り物して歌う田中角栄を観たとしたら(何だかシュール過ぎてイメージできませんが)、それはそれは強烈な違和感を抱いたことでしょう。
「ロックなんか聴かない」
加えて、私は先ほどサザン/桑田佳祐について「日本ロック界における最大の存在」という表現を使いましたが、「日本ロック界」、ひいては「ロック」という観念について、私世代と若い世代には、大きな認識相違がありそうなのです。
「J-POP」という言葉のない時代に育った私の頭の中で「ロック」は「J-POP」と多少の重なりはあるけど基本、別物。新参ジャンルでふわっとした「J-POP」にはない、かっこよさ、新しさ、そして過激さを持った、ど真ん中のジャンルこそが「ロック」なのです(そしてそのど真ん中にサザン/桑田佳祐がいる)。
しかし、何人かに取材をしてみますと、物心ついたら「J-POP」という言葉があった若い世代には、どうも「ロック」は「J-POP」のワンオブゼムとして、「ライブを中心に活動するバンドもの」に限定されるようなのです(「邦ロック」という言い回しは、さらに意味が限定されている模様)。図にするとこんな感じかと。
そういえば、あいみょん『君はロックなんか聴かない』(17年)という曲がありましたが、あの曲などは「J-POPは普通に聴くけど、そのワンオブゼムである『ロック』という(暑苦しい)音楽は聴かない」という、つまりは、私世代よりも「ロック」の意味合いが矮小化されている世代の感覚が表れていると思ったのですが、どうでしょうか。
そんな今風の「ロック」観を持つ若い世代に伝えたいことは、まず、「J-POP」という言葉が生まれる遥か前、「ロック」という言葉すら、ちゃんと市民権を得ていない頃、日本語の発音を歪めたり、早口にしたり、英語と混合したり……という、今の「J-POP」で、まるっきり標準になっている歌い方を発明したのは、桑田佳祐だったんだよ、ということです。具体的にいえば、Vaundyのあのボーカルスタイルも、私には桑田の後継のように見えるのです。
「老化ロック」
また、ラブソングだけでなく、メッセージソングからコミックソング、エロソング……というこちらは今の「J-POP」に先駆けた形で、歌詞の世界を、かなりただっ広い守備範囲にまで自由自在に広げたのもまた、桑田佳祐だったんだよ、ということ。
さらには、そんなこんなで「日本(語)のロック」の方法論、ひいてはビジネスまで確立し、つまりは「J-POP」の基盤を作った最大の立役者が桑田佳祐なんだよ、ということも(はっぴいえんどや吉田拓郎、矢沢永吉の功績も見逃せませんが、ここではひとまず措きます)。
さらにさらに、ここからが今回の本論なのですが、68歳の桑田佳祐が、今でも攻撃の手を緩めずにある「チャレンジ」を続けていることを若い世代にはぜひ知っていただきたいと思うのです。というのは、そのチャレンジのテーマからして、若い世代の方々にとは、いかにも縁遠いものなので。
それは、まるっきりの新ジャンル=「老化ロック」を新規創造する「老化ロッカー」としてのチャレンジ――。
かつては若者音楽の代表だったロックというジャンルにおいて、日本初、もしかしたら世界に先駆けて、老いと向き合い、老いをテーマとしたロックを作り・歌うという御年68歳の桑田佳祐によるチャレンジに、私は大いに注目しているのです。
きっかけは2010年、当時54歳だった桑田佳祐が、食道がんの手術をしたことでしょう。翌2011年の傑作ソロアルバム『MUSICMAN』では、『それ行けベイビー!!』で「命をありがとネ いろいろあるけどネ」と歌った(録音は手術前に始まったようですが)。
「ポジションをアップデート」
また同アルバム収録の『月光の聖者達~ミスター・ムーンライト』では「時代(とき)は移ろう この日本(くに)も変わったよ 知らぬ間に」と、昭和世代(タイトルに絡めるとビートルズ世代)の哀愁を淡々と歌う。
2015年、サザン名義の現時点での最新アルバム『葡萄』でも、明らかに自らの死を歌う『はっぴいえんど』という曲には「旅の終わりがハッピーエンドなら いいのに」と「終活ロック」のような味わいの歌詞があります。
そして同アルバム収録、かつ先日のひたちなかでも歌われた『栄光の男』は、一時代を作った「栄光の男」=巨人・長嶋茂雄の引退(1974年)を立ち喰いそば屋のテレビで見るシーンから始まりながら「生まれ変わってみても 栄光の男にゃなれない」「老いてゆく肉体(からだ)は 愛も知らずに満足かい?」と、こちらは昭和世代の嘆きをストレートに、かつ辛辣に歌い上げます。
それにしても長嶋茂雄、立ち食いそば屋、ラストには居酒屋の小部屋(さらにそこで主人公はみみっちいセクハラをする)が出てくるロックとは、何と自由なことでしょう。「J-POP」の音楽家も、もっと自由な歌詞を歌えばいいのに思ってしまいます。
極め付きは、こちらは記憶に新しい「桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎」名義の『時代遅れのRock’n’Roll Band』。曲の中ほどで、すべてのシニアの気持ちの奥底にある、社会や未来に対する真っ当な問題意識を、こう堂々と宣言――「子供の命を全力で 大人が守ること それが自由という名の誇りさ」。素晴らしい。
分かっていただけましたでしょうか。桑田佳祐が日本初(と言っていいでしょう)の「老化ロッカー」として、「老化ロック」の創造というチャレンジに挑んでいるということを。
そしてそのチャレンジが、同世代、私などの少し下の世代のハートをわしづかみ、「日本ロック界における最大の存在」というポジションをアップデートし続けているということを。だからこそ私たちが、「最後の夏フェス出演」に、あんなにも盛り上がってしまうということを。
「R(老化)-POP」の創造主に
これを読んでいただいた若い方々が、年を取った頃、「終活ロック」に加えて「介護ロック」「入院ロック」「手術ロック」「葬式ロック」……などさらに進んだ超高齢化時代に向けた「老化ロック」というジャンルが、もっともっと賑やかになっているのではないでしょうか。さらには、それらが「R(老化)-POP」と呼ばれたりして。
そうなると「日本老化ロック界の最大の老化ロッカー」もまた、桑田佳祐ということになりそうです。
引用記事:
若い人はもはや「サザン」を知らない?…夏フェスを「卒業」した桑田佳祐が開拓する「新境地」(スージー鈴木) | マネー現代 | 講談社