この生々しい内容はすべて現実に行われてきたこと。
まだ10代の子供に・・許していいの?こんなこと。
ジャニー喜多川を拒んだジュニアはいかにして事務所を去ったか
旧ジャニーズ事務所(現スマイルアップ)に補償を求めて被害を申告した人の数は現時点で1000人を超える。いまだ被害者の実数は見えないが、それだけの数の少年たちをジャニーズはいかにして意のままに操ったのか。『ジャニーズ崩壊の真実 命を懸けた35年の足跡』(日本ジャーナル出版)を上梓したジャニーズ性加害問題当事者の会の元代表 平本淳也氏に聞いた。(聞き
聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
「相手をしてもらうために自分で陰毛を剃る人もいた」
──ジャニーズ事務所では、ジャニー喜多川氏の性加害を拒否すると、あからさまに冷たい態度を取られた、と書かれています。
平本淳也氏(以下、平本):まず口をきいてもらえなくなる。目も合わしてもらえなくなる。ひどい時は「ユー、なんでここにいるの?」「来ちゃダメでしょ」と周囲に聞こえるように言われる。
怖いですよ。まだ思春期の子供に向かって、そんなふうに憎しみをぶつける。学校の先生がそんな態度を生徒にとったら大問題ですよね。会社でやったらパワハラですよ。
嫌われたジュニアは、合宿所に呼ばれなくなる。雑誌やテレビにも出られなくなる。もう居場所がなくなってしまう。
──それは「僕に気に入られないとこうなるよ」と全体に見せつけるために、わざとあからさまにいじめをしていたということですか?
平本:そうです。すごく分かりやすい。それなりに在籍した元ジュニアに聞けば、100人中100人が、そういうことがあったと答えますよ。ジャニーから嫌われないための努力は相当なものがありました。
いい子だと思われたい。好かれたい。気に入られたい。その先には、芸能界という華々しい道がある。小さな芸能事務所とは違い、ジャニーズの場合はリアルに成功が見えている。既にテレビに出演したり、雑誌に出たり、ファンがついたり、そのような経験も始まっている。ジャニーに気に入られないと、それが続かない。
続けることができなくて、消えていった人たちも周りにたくさんいます。「あいつ、どうした?」「ジャニーに嫌われて来なくなったよ」という話を、ジュニア同士でよく話していました。
──「ジャニーがパンツを下したときに、毛が生えていたら無言でパンツを戻して帰っていくなんてこともあって、相手をしてもらうために、自分で陰毛を剃ってくる人もいた」とご著書の中で語られています。ジャニー氏に気に入られようと積極的だった方々はどれくらいいたのでしょうか?
平本:残っていく人の多くが、そういう姿勢でいました。それは間違いありません。
まず、何年もジャニーズ事務所に在籍していられると思ったら大間違いです。1日で辞めていく人もいるし、早ければ半日で辞めていく人もたくさんいた。持って半年か1年です。そのくらいのスピードで辞めていく人が大半でした。
途中からあまり性加害を受けなくなったから残ることができたけれど、5年も6年も残っていた自分は異例でしたよ。性加害の最後の山(ジャニー氏に求められる、とても書くことができないような強烈な行為)を、運よくも回避することができたから、まだ在籍する気持ちでいられたのです。
「初日にやられるんだよ。怖いよ」
──ジャニーズ事務所を辞めていく人たちの多くが、他でもなく、性加害がつらくて辞めていくのですね。
平本:「ダンスについていけないから辞めていく」なんてぜんぜんないですよ。そんな真面目な世界だと思ってます?
──思っていました。
平本:初日にやられるんだよ。オーディションに行きました。そのままどこかに誘われました。やられました。翌週行ったら、今度は「口でしてよ」「飲んでよ」と言われる。怖いよ。こっちもどこか狂わないととても続けられない。人間の何かを壊したような状態で、ぐちゃぐちゃになりながら、なんとか続けている状況です。
そして、今だからこういう説明もできるけれど、その渦中にいた時は、そんなこと考えられないですよ。
──他のジュニアの方々と苦しみを語り合うこともあったのですか?
平本:慰めはしなかったですね。ほとんど笑い話にする。「おまえ何やられた?」「すげえな」みたいな。そういう話し方しかできない。一緒に泣くのもおかしいでしょ。それに、我慢のできない人は自ずと去っていく。
──性加害の厳しい要求に耐えた人ほど、デビューに近づいたのですか?
平本:もちろん、そうなります。大前提として、デビューするためにはジャニーズ事務所に在籍し続けなければならない。今のポジションをキープしなければならない。そして、上に嫌われたら終わる。
普通の会社だったら、実績や実力で誰を大事なプロジェクトに入れるか決めますよね。ジャニーズでは当時、ダンスレッスンしかなかったけれど、もちろん踊りが上手い人と下手な人がいれば様になっているほうを選ぶけれど、踊りが上手い人ばかりが選ばれているかというと、そんなことはなかった。
顔やスタイルだって、実はけっこう幅がある。韓流アイドルグループなんかは、もっと外見やパフォーマンス力に統一的なレベルがありますよ。
もちろん「それぞれの個性を活かした」という面もあったとは思います。SMAPなどはバランスよく構成されている。でも、それは結果論という印象もある。
「身内目線で言うと、中途半端なジュニアの寄せ集めが嵐だった」
平本:誰をどのグループに入れるか、そこに明確な理由はありません。SMAP、光GENJI、男闘呼組、忍者といった80-90年代に活躍したグループのメンバーを入れ替えて、再構成して別のグループができていたとしても、ぜんぜんおかしくなかった。
TOKIOの国分太一がよく言っていますよね。「SMAPに入っていてもおかしくなかった」「今でも入りたい」と。どのグループに入るかで、その後の自分の運命も印象も変わる。僕たちは「グループガチャだね」なんて言っています。
滝沢秀明だって嵐に入っていてもおかしくなかった。
──たしかに年齢的には同じくらいですね。
平本:あの辺は「滝沢一派」というか、滝沢を筆頭にしたピラミッド構成になっていました。身内目線で言うと、中途半端なジュニアの寄せ集めが嵐でしたよ。
後に嵐があんなに売れるなんて、本人たちでさえ想像していなかったと思う。「大野がリーダー、なんで?」みたいな、当時は本当にそんな印象でしたよ。
──デビューまでいったのは、相当選りすぐられてのことではないのですか?
平本:選りすぐられたというより、彼らが気に入られるための努力をしてきたということです。とはいえ、どの程度のことをしたのかはそれぞれ個人差があるでしょうね。
たとえば、フォーリーブスを例にとると、メンバーは全員ジャニーの被害にあっていたけれど、圧倒的に北公次に被害が集中していた。ジャニーと北公次はほぼ同棲のような生活をしていましたからね。北公次には「他のメンバーを守りたい」という意識もあった。
光GENJI、SMAP、KAT-TUN、Kis-My-Ft2、Hey! Say! JUMPなど、後々の世代のグループやタレントにも、おそらく同じような環境や出来事はあった。それは想像に難しくはない。
事務所には膨大な数のジュニアがいましたからね。「ジャニーもよくやってんなぁ」と当時は思いましたよ。自分たちは中の状況を知っていますから。
「入った段階で餌食になることは分かっている」
──被害者の補償の申請が1000件を超えました(この内525人には補償金が支払われた)。平本さんは、この本の中で、数千人の被害者がいるであろうと語られています。
平本:僕は、ジャニーの性加害問題が再燃する前から、ずっと新たな被害者たちからの相談も受けていましたし、その実態についても聞いていました。自分が在籍していた頃と、その後を合わせて週に1人の被害者を出していたと仮定すると、50年間で、およそ2500人の被害者がいたということになる。
そして、既にデビューしている人たちは、被害を受けていたとしても、被害者として会社に申告しようとは考えない人が多いと思います。被害を申告することで干される可能性をどうしても心配してしまいますから。
そのように何らかの利害を考慮して、申告を控える人だけでも数百人くらいいる可能性があります。あるいは、自分が受けたことを性被害とは認めたくない人もいるでしょう。
「週に1人」と言いましたが、当時は毎週、新人が入ってきました。そして、入った段階で餌食になることは分かっています。これは中にいたら分かるんですよ。数カ月在籍して被害に遭わない人はいません。どうやったら被害に遭わずにいられるのか、むしろ聞きたいくらいです。
──年齢が上がってくると、ジャニーから求められることも少なくなり、それが逆に寂しくなるジュニアもいたと書かれています。
平本:今でこそ、アイドルも年齢にかなり幅があるようになりましたが、昭和から平成にかけての僕たちの世代は、アイドルは十代でデビューできなければお終いでした。山口百恵さんだって21歳で引退でしょ。だから、16歳や17歳はもう年寄り扱いでした。
ジュニアは小学生から入ってくるし、小児性愛を持っているジャニーが何を求めているか、新たに入所してくる少年たちの年齢を見れば分かる。
幼い子を「沼」にはめるジャニーのやり方
平本:「君いくつ?」と聞くと、「小学校1年生」という答えが返ってくる。自分たちはもう10歳年上なんです。小学校1年生と高校3年生が同じ場所で同じレッスンを受ける。そして、明らかにジャニーの関心は幼いほうに行っている。年齢が上のジュニアは花咲くことないまま終わってしまう。
別に辞めなければならない理由もないのです。でも、17歳、18歳って、進学したり、就職したり、人生の進路を考える時期でしょ。そうした中で、自分の将来の方向性を決められる力を持っているジャニーの関心は既に自分には向いていない。若い子へどんどん移っていく。
だから、自分で見切りをつける人もいるし、「デビューさせてください」とお願いしに行く人もいるし、「あと1回ドラマに出してくれ、それで諦める」という人もいる。
北公次のように、恋人のように愛される関係を継続できれば、それは安心になる。でも、そういう関係が何もなく、声もかけられない。目も合わせてくれない。会社から呼ばれてバックダンサーをするだけ。しかも、新しく入ってきた自分よりうんと若い子の後で踊らされる。耐えられますか?
──相当にシンドイですね。
平本:もちろん、ダンスの上手い子やバク転ができる子には、踊る時に一定のポジションが与えられることがありますよ。でも、知らない幼い小学生が突然連れてこられて、真ん中で踊るように言われる。
ジャニーはその子に「ユー、動いているだけでいいから」と言う。皆言葉を失って唖然とするけど、自分も入所した時に同じような扱いを受けているから、何が起きているかよく分かるのです。
後のポジションであれば、踊り方が分からなくても、まだ前の人の真似ができる。一番前に立たされたらカンニングさえできない。どうすりゃいいのよ。そういうオドオドしている新人を見るのがジャニーは好きなの。ものすごく悪趣味でしたよ。
曲が止まると「ユー、疲れたでしょ」「頑張ったね」なんて言いながら近寄る。そうやって幼い子を沼にハメて操っていたのです。
引用記事:
「『ユー、疲れたでしょ』『頑張ったね』なんて言いながら近寄る。そうやって幼い子を沼にハメて操っていった」 【平本淳也が語る②】ジャニー喜多川を拒んだジュニアはいかにして事務所を去ったか(5/5) | JBpress (ジェイビープレス)