「国家に奪われた人生」「お金じゃ人生は買えない」
いろんな意見がある中、
「証拠がなかっただけで犯人かもしれない」
そんな意見も飛び交う今回の”冤罪事件”。
死刑確定後に再審で無罪とされるのは戦後5人目だ。静岡県で起きた島田事件の赤堀政夫さん以来、35年ぶりとなる。
検察側は改めて有罪だと主張したが、退けられた。控訴せず、無罪を確定させるべきだ。
判決は「三つの証拠捏造(ねつぞう)」との表現で、不当な捜査を糾弾した。
まず、犯人のものとされた「5点の衣類」だ。事件の1年2カ月後に、みそタンクの中から発見され、付着していた血痕には赤みがあった。
証拠捏造の実態解明を
判決は、みそに1年以上漬かれば血痕の赤みは残らないとの弁護側の主張を認め、事件の49日後に逮捕された袴田さんが、衣類を隠すことは不可能だと指摘した。
そのうえで「捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、タンクに隠された」と認定した。
袴田さんの実家から見つかった衣類の端切れとみられる布も、捏造だと判断した。
自白は強要されたもので、証拠能力がないと批判した。連日、長時間にわたる取り調べが行われ、トイレに行くのも許さないなど非人道的な対応があった。
袴田さんが犯人だとの見立てに固執して、捜査が進められた結果である。
公権力による犯罪的な行為であり、言語道断だ。無実の人を死に追いやりかねなかったことを、警察と検察は猛省すべきだ。判決の指摘を重く受け止め、実態を解明して責任の所在を明らかにする必要がある。
最近も、取り調べでの警察官や検察官による自白強要が明らかになっている。捜査側に都合のいい証拠が作られたと指摘される事件もある。冤罪(えんざい)を生みかねない土壌は変わっていない。
結果として真犯人を取り逃がした。検察側は再審公判で「真実を明らかにしてほしい」との遺族の陳述書を読み上げたが、その可能性を封じたのは捜査機関自身だ。
捜査側の主張をうのみにし、有罪判決を重ねた裁判所の責任も重い。1審の裁判官の一人は、無罪の心証を持ちながら他の裁判官を説得できず、心ならずも死刑判決を書いたと告白している。
報道にも問題があった。毎日新聞は捜査機関の見立てを疑わず、袴田さんを犯人視するような記事を掲載し続けた。人格を否定する表現もあった。真摯(しんし)に反省する。
袴田さんは80年に死刑が確定して以降、執行の恐怖におびえる日々を過ごした。2014年に最初の再審開始決定が出て釈放されたが、長期に及んだ身柄拘束で心を病み、周囲と意思疎通ができないことが多い。
再審の法廷で無罪の言い渡しを聞くことはなく、代わりに姉秀子さん(91)が出廷した。
司法制度の見直し急務
「無辜(むこ)(無実の人)の救済」を目的とした再審制度の不備も浮き彫りになった。袴田さんは最初の再審請求をしてから無罪判決を得るまで43年を要した。
問題なのは、捜査機関に証拠を開示させる仕組みが整っていないことだ。捜査側にとって不利な証拠を開示させるかどうかは、裁判官の判断に左右される。
袴田さんのケースでは、焦点になった「5点の衣類」のカラー写真が開示されたのは、審理が始まって30年近くたってからだった。
審理の進め方について刑事訴訟法に細かな規定はなく、裁判官の裁量に任されている。誰が担当するかによって対応が異なる現状は「再審格差」と批判される。
検察官が再審開始決定に対して不服申し立てができることも、審理の長期化を招いている。
制度見直しを求める超党派の議員連盟が今年発足し、340人以上が参加している。法改正に向けた議論を早急に始めるべきだ。
捜査当局や裁判所は、罪を犯した人の刑事責任を問い、刑罰を科すという強大な権限を持つ。だからこそ、人権に配慮して慎重に行使することが求められる。
判断に誤りがあれば、直ちに正さなければならない。それを徹底しなければ、刑事司法に対する国民の信頼が失われる。
引用記事:
冤罪が存在する限り、死刑制度はあるべきなのか。
真実と事実、無罪と無実。一体何が正しかったのか。
多くのことを考えた事件であるが
もう少し早く気づけることがあったのではないかと思います。
嘘のない、犯罪のない世の中になりますように。